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コミックボンボン
- [雑誌]
データ
出版データ | |
---|---|
刊行期間 | 1981/10/15〜2007/11/15 |
発売日 | 毎月15日 |
発行日 | 毎月1日 |
定価 | 480円(終期) |
発行元 | 講談社 |
概要
かつて講談社が刊行していた児童向け雑誌。
創刊は1981年11月号で,当初は隔月刊行だったが,すぐに月刊になっている。
先行する小学館のコロコロコミックに追従するような形で創刊された雑誌で,当時の児童向け雑誌としては珍しいA5版サイズであった。(これもコロコロコミックと同じで,この当時同じ判型の児童誌としてほかに双葉社の100てんランドコミックがあった。)
ホビージャパンとならんで,ガンプラ黎明期からそのバックアップを積極的に行い,MSVなどの普及に大きく尽力した誌面展開が行われており,漫画,特集コーナーなど,現在の目で見てもかなり濃い内容が多い。
特にSDガンダムシリーズに関しては,ボンボンによる情報公開がほぼ全てであり,ブームそのものであったとも言うことができるだろう。
また,サンライズ作品をはじめとするテレビアニメのコミカライズが積極的に行われており,太陽の牙ダグラム,聖戦士ダンバイン,重戦機エルガイム等々,数多くのアニメが再編集されたコミカライズは,リアルロボットものの複雑化していくストーリーをわかりやすく説明するだけでは無く,未放映地域の児童にとってプラモデルを作る際のイメージソースなどに重要な役割を果たした[1]。
藤子不二雄作品が中心であった当時のコロコロコミックとはある意味対局であり,マイナーメジャーとしての勢いは完全に上回っていたとも言え,現在でもボンボン作品の根強いファンは多い。
創刊〜80年代前半
元々は,別の作品のアニメ化を前提(告知も行われている)とした創刊であったが,アニメか企画は頓挫してしまう。しかし,年明け早々に連載の始まったプラモ狂四郎の人気が急上昇し,刊行の危機は乗り切っている。
この当時既にテレビマガジンにおいてガンダム(厳密にはガンプラ)を取り扱うようになっており,ボンボンにおいてガンプラを取り扱うこととなったことで,幼年誌,児童誌という低年齢層向け展開を講談社が事実上独占することとなった。
1980年代はじめは,いわゆるガンプラブームの牽引役のひとつで高学年(高年齢層)向けのホビージャパンで展開された記事・作例をコミックボンボンで低年齢層向けに再構築して紹介するという手法がとられ,様々な作例が誌面を飾ることとなった。(蛇足ながら,ライバルのコロコロコミックでは,ガンプラに対抗する形でマクロスが積極的に取り上げられていたが,この当時としては完全にガンプラに勢いがありプラモデル好きの児童層にとってはボンボンはバイブルと化していた。)
80年代後半〜休刊まで
1980年代後半になると急激にリアルロボット物が衰退する。キャラクタープラモデルの勢いも低下し,事実上「ガンプラの一人勝ち」状態へと陥っていく。
この状況下で,コミックボンボンは次代のホビー作品への注力にもたついてしまう。ライバルのコロコロではミニ四駆やビックリマンなどのブームに上手く乗っていくが,ボンボンではこれらの後追い企画(というか二番煎じ企画)[2]が中心となってしまい,インパクトを出せずじまいであったが,読者には高い支持を得ており,さらにファミコンブームに際しては,ファミコンロッキー,スーパーマリオという二つの柱を有するコロコロに対して,ファミコン風雲児,ロックマンシリーズで対抗,その後の格闘ゲームブームでは,ストリートファイターに対して餓狼伝説シリーズと完全に対抗できるだけのパワーを有していた。(この当時,公称部数は最大75万部まで到達している。)
だが,90年代半ばを過ぎると状況が変わってくる。
ボンボンの連載陣は良くも悪くも安定した作品群であり,いわばマンネリ化した状況であった。特にポケットモンスター[3]のヒット以降,加速度的にコロコロとの差が広がっていき,2000年代に入ると,往年の部数を遙かに下回る部数へと落ち込んだのである。
ガンダム関連記事も2000年代に入ると激減し,本来ボンボンでの連載が相応しいはずの「ガンダムSEED」は連載されず,同じ講談社のマガジンZでの連載となった。(マガジンZではターンエーガンダムの連載も行われており,その流れだと思われる。ただし,ターンエーガンダムはテレビ放映に準拠したコミカライズはボンボンで行われており,マガジンZ版は独自展開のものとなっている。)
続編のガンダムSEED DESTINYはボンボンでの連載が行われたものの,既に2001年に創刊された角川書店のガンダムエースがその発行部数を伸ばしている状況下であった(更に言えば,ガンダムエースでは公式外伝が連載されていた)ため,状況に大きな影響を与える程では無かった。(おそらくだが,これらの打開策の一つとして行われたのが,コンビニ流通の簡易コミックの大量発売だと思われる。2003年頃から80年代の連載作品をコンビニ流通コミックとして次々と刊行しており,これらは比較的好調であったとされる。この結果,当時の連載作品をB6版コミックで再刊行している。)
この当時,発行部数は5万部程度まで落ち込んでおり,ボンボンの凋落は疑いようのない状況となっていた。
このため,2006年1月号より大幅なリニューアルを実施,従来のA5版サイズからB5版サイズへと変更した。だが,このリニューアルに伴い,従来の連載作品の多くが終了し,新規でスタートした作品や他誌から移籍してきた作品は「ボンボン作品」というイメージでは無く,まるで他の雑誌を見ているようであった。(例えば月刊マガジン等で連載されているかのような作品もあった。)
ガンダム関連作品も新連載であった「機動戦士ガンダムALIVE」と継続の「SDガンダムフルカラー劇場」のみ[4]となり,「ガンダム」といえば「角川のガンダムエース」という状況が定着してしまったのである。
結果的にリニューアル以後は迷走と言うしか無く[5],2007年12月号をもって休刊となった。(さらに不幸といえるのが,後継誌が存在しない,ということだろう。当時の連載陣のうち,いくつかは新創刊の月刊ライバルに移籍したが,ライバルの編集部はボンボンの後継誌では無いことを明言し,実際に往年のボンボンをイメージするような作品は全く無くなっていた。そのライバルも2012年には休刊している。)
関連項目
編集者
[関連用語]
最終更新時間:2014年10月31日 21時05分44秒
ノート
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脚注