!!!MS少女 *[関連用語]] !!概要  モビルスーツの格好をした少女(のイラスト)のこと。  簡単に言えば「モビルスーツコスプレ」。  もっとも有名なものは,明貴美加氏の描くもので,模型誌モデルグラフィックスで連載されたものは,大日本絵画から画集(超音速のMS少女)が発売されている。ガンダムエース誌上で明貴美加氏による「GUNDAM FIX GALUTION」,吉崎観音氏の「ZEONO MUSUME~」が連載された。  なお,こうした理由からMS少女は明貴氏の専売特許と思われているが,厳密に言えばその発端は模型情報における読者投稿であり,「MS少女」という命名は模型情報誌上のものである。とはいえ,当時のMS少女は,現在のMS少女とされるものとは大きく趣が異なっており,「モビルスーツ風の洋服を着た少女」といったものであり,現在の「モビルスーツ風の装甲を装着した少女{{fn 編註。編者(あさぎり)としては,MS少女というと,どうしても杉原氏のラインが印象としてあり,未だに明貴氏のラインに違和感があるのが困りものである(笑)}}」でとは異なっている。 !歴史  MS少女の源流を考えた場合,その大元は第二次世界大戦時に航空機に描かれた様々なマーキングにある。これらノーズアートには,様々な意匠があり,中には女性をモチーフとしたものも多数あった。こうしたマーキングは早くからモビルスーツのマーキングとして取り入れられており,この流れが様々な部隊マークやパーソナルマークを生み出す土壌となった。  こうした時期に,パーソナルマークの一つとして大河原邦男氏が描いたのが「グフレディ」である。このデザインは女性をモチーフとしたもので,グフの意匠を持つ装甲(鎧)を身にまとっているものであった。  そのような時期,模型情報の1982年8月号には常連投稿者の杉原昌子氏が投稿したイラスト「DOM少女」が掲載されている。これは杉原氏が好きなアニメ作品へのオマージュとして投稿したもので,少女が「モビルスーツの意匠がある服をまとった姿」として描かれており,発端としてはノーズアート(グフレディ)とは異なったものであろう。  このMS少女は,幾度かの投稿掲載の後,1984年3月号から「あにめみ〜は〜ぐらふてぃ」として連載が行われることとなった。この連載は誌上では人気となり,同年5月にはガレージキット化され,読者頒布(1体1500円,ザク少女,ドム少女,グフ少女の3種)されている。(後に刊行された別冊「プリティフィギュア」では,さらにトロピカルドム少女など複数のデザインが立体化されている。)  この当時,こうしたMS少女は局地的にではあるが盛り上がりを見せ,模型情報のみならずホビージャパン誌上にまでMSのみならず各種のロボットアニメのメカが少女化されたイラストが投稿されていたのである。(漫画家の北崎拓がデビュー前に「エルガイム少女」を雑誌投稿していた事があるのは一部で有名)。  一方,こうしたMS少女の(一種の)盛り上がりは,その盛り上がりが沈静化に向かいつつあった1985年にアーマードレディー{{fn デザインは現在も数多くのガンダム関連作品を描く,ときた洸一氏。}}というとんでもない商品を生み出すこととなった。これは,MS少女のマスプロダクト商品としてリリースされたもので,簡易成型品ではあったが,一般店舗にMS少女(のキット)が並ぶこととなったのである。(いくつかの企画が存在していたようであるが,実際にリリースされたものは3種類であり,おそらく残りは商品的な盛り上がりに欠けたための企画中止だと考えられる。)  アーマードレディーのデザインは,杉原氏のMS少女のデザインの方向性とは異なり,どちらかと言えば,グフレディに近い「MSの意匠をした鎧(パーツ)を身にまとった」姿であり,現在のMS少女のデザインの方向性に近いものであった。(現在の目で見ると,中途半端な面は否めないが,ある意味,デザインの方向性としては先駆者として十分だとは考えられる。)  実のところ,この当時の投稿によるMS少女の多くは,杉原氏のラインと言うよりも,アーマードレディーのデザインラインに近く{{fn 私的見解ではあるが,杉原氏の女性的ラインとその柔らかい雰囲気は,男性ファンの多い模型情報投稿者にはコピーするのが困難だったのではないだろうか。}},この点からいってもアーマードレディーのデザインラインは,あながち外したものではなかったのである。  しかしながら,MS少女(というよりもメカ少女)というコンテンツが沈静化を迎えつつある中で発売されたアーマードレディーは起爆剤にはなり得ず,ブームの終焉を迎えるだけであろう,という状況だった。  ところが,このアーマードレディーのデザインラインに対して,「自分ならこのように描く」という方向性で描き始めたのが「明貴美加氏」であった。  明貴氏は,既にメカ少女としてのイラストを手がけており,改めてバンダイに画稿を提示したのである。これとほぼ時を同じくして,氏は当時刊行されていたアニメ誌「ジ・アニメ」からメカ少女のイラストを発注され,「Ζガンダム少女」として連載,掲載誌の休刊まで継続することとなった。  また,明貴氏はガンダムΖΖの放映終了後,逆襲のシャアのイベントのために「MSのコスプレをしたキャンペーンガール」の企画に参加,ここでMS少女を書き下ろすのだが,諸事情からこの案は頓挫,結果的にこのデザインを見たモデルグラフィックススタッフからの依頼で,「ガンダムセンチネル」連載時に,「今月のMS少女」として再び連載を持つこととなった。  この連載は,ガンダムセンチネルの盛り上がりもあって,連鎖的に連載回数を伸ばしていった。この結果,これまでは模型情報や模型誌の常連投稿者を中心に続いていたMS少女というコンテンツへの認知度が,一般的なガンダムファン全体に広まったともいえるのである。 !!関連項目 *[[アーマードレディー]] *[[模型情報]] !!編集者 *あさぎり ---- {{lastmodified}} !!ノート ■[[本項目に追加情報を記載する|BBS2]] ※追記できる情報(他愛のないものでかまいません)がある場合,上記リンクから記述専用ページに移動し,情報投入をお願いします。