期間限定公開(・・だったが放置w) !!!雑記:ガンダムSEED終了を受けて *[コラム] ---- ※時間が経つにつれて感じ方が変わってくると思います。 ※このコラムは,当時のものです。 ---- !!1.前置き(^^; この雑記は,ガンダムSEEDについて掲示板でいろいろと話題にしたこと,個人的に感じていること,をまとめたものです。 先にお断りしておきますが,SEEDという作品の「できの良し悪し(おもしろさ)を断定」するつもりはありませんし,また,論議するつもりもありません。(個人的意見としての断定はできますし,していますが,他人に押しつける物ではないです。ですから,ここでは,私個人はこう思っているという「個人意見」であるということです。) というのも,「できの良し悪し」ってのは,多分に個人的感情が影響するものであり,ある人がおもしろいと思っても,他の人にはつまらないということも多いからです。従って,個々の部分の「でき」については,「個人的意見として」判断していますが,論議の対象としては特に考えていません。また,それ以上の部分は断定はしませんし,それこそ論議はほとんど意味をなさないでしょう。 私は,掲示板では意識して「おもしろかった」,「つまらなかった」という記述は避けていました。(やっちゃった場所もありはしますけど^^;)ただ,個人意見を述べなければならない場合は,記述する姿勢で来ています。 この雑記に対する意見などは,メールでお願いします。(頂いたメールの内容は公開する可能性があります。)しかし,雑記の内容を否定する「だけ」の言葉でしたらいりません。これは,あくまで私の意見を吐露しているだけのものです。 御自分の言葉で,「自分はこれはこう考えています」あるいは「ここはこうだったら自分は楽しめました」という意見ならば,非常に見るべき点は多いと思いますので大歓迎です。私としてもそのような意見は(私の意見が変わらなかったとしても)非常に有益ですし,これからの作品を見る場合の新たな視点として有益だと考えます。しかし,「自分はこう思うから,あなたの考えは間違い」とか(具体的な意見もなく)「つまらない作品でした」とかいう意見でしたら,必要ないということです。また,個々のスタッフの力量(嫁の脚本はつまらないとか・・)について議論しても始まらないのは当然のことでしょう。(そのような意見については直接制作会社にメールでもしてもらうのが一番ですしね^^;) 前者のような意見が,論議として有益な発展を行うのは,私自身としてもサイトとしても非常に有益であり大歓迎です。 さてさて,重苦しい前置きはこのくらいにして,先に進みます(^^; 前置きを見て,反発心が起きましたら,見ない方がいいかもしれません(苦笑) !!2.本題(ガンダムSEEDについての感想) ついにガンダムSEED(以下種w)が,放映を終了しました。 まぁ,正直な話,放映中からここまでバッシングのすごい作品もまた見たこと無いというか(苦笑) まず,全話を見終えての個人的総括ですが,「それなりに楽しめました。が,消化不良。」です。 監督,脚本家を叩く意見はネットを始め非常に多く見られますが,まぁ,否定はしません(笑) 確かに,これはおかしいと感じる部分も多いですし,説明や表記が間違っていた点があるのも事実です。でも,作品全体の流れを見ると非常におもしろく思える部分が多々あるのもまた事実です。 ただ,とりあえず,放映中にいろいろと難癖をつけて「おもしろくないから見ない」といった方にはとりあえず,異を唱えておきます。「だったら,こんなところで種の感想なんか見てないで,別な作品でも見てなさい。あなたが種を見ないのは勝手です。ただ,見てもいないのに作品の内容について難癖つけるのは不愉快です」と。(我ながら過激だなぁ^^;) あ,見た上で,「この演出が嫌い」,「あそこの描写が嫌い」,「この設定は変だ」とかいう意見なら全然問題なしです。私だって,いいたいことありますし(笑) 例えば,10話まで見たんだったら,10話までの感想(あるいは総括)は,いくらでもいいんですが,そこまでの段階しか見てないのに作品全体の批評をするな,と,そう言いたいわけです(^^; 10話で種を見なくなった人間が,10話以降のストーリーの展開について口出しする必要はありません。わかるはずがないですから。もちろん,本や雑誌などの情報を見てるからわかるという人もいるでしょうが,そんなものあくまで「二次情報」です。実際に作品自体を見ないで総括に口を出してほしくないというのが正直な意見です。 と,まぁいろいろ言ってますが,私の意見としてこのような文章がでることからしても不満点は正直ありました。 最も大きな不満点は,「設定がきちんと活かされていなかった」ってことでしょうか。(これについては,後述します。)ほかにもいろいろありますけどね(^^; 種を見ていて,感じたのが主観が曖昧だった,という点です。放映前に,キラとアスランという二人の主人公がいる,というふれこみで情報が公開されました。そのため,主人公に対する話の集中がなく,キラとアスラン,どちらを中心に作品を見ていけばいいのか,というとまどいが生じてしまったのは確かでしょう。 個人的には,2〜3話まででアスランの扱いがぞんざいなのを見て,「あぁ,これは二人の話ではなくキラの話だな」と割り切っちゃった(この時点で既にアスランは私の中では主役から脱落^^;)ので,さほど気にならなかったんですが(^^; ストーリーが進むにつれ,その意識はさらに強くなったため,私の場合,種=キラの話,という図式で見続け,最終話を見届けました。そのため,一部では完結していないという意見もあるんですが,「キラの話としては終わっている」という認識です。(むろん,この世界を利用した作品において,顛末を語る分にはかまわないと思ってます。それだけ,世界観としては集束していない感じはあります。) あと,キャラの描写が薄っぺらいという指摘もありましたが,これについてもキラ中心の話として考えると(確かに表現不足は否定しませんが)アリじゃないかなぁと。結局,アスランってキラの親友ではあるんですが,主役じゃないと感じてるんですよね。邪推ですが,おそらくスタッフの中にもそこを徹底しきれなかったんじゃないかな,と考えてます。(徹底していたら,キラの描写はもっと際立ったんじゃないかと。時々思い出したかのようにアスランを主役みたいに扱うからちぐはぐだったんじゃないかなぁと。) つまり,キラの話としてはストーリーに筋が通っているので「まぁ,いいか」って認識かな(笑)(※1) 私の感じた種の大まかなストーリーラインは,以下のような感じかな。(作中の描写が足りないってのは,とりあえず無しにしてね。先に書いたように描写不足は承知の上でまとめてますから。) へリオポリス崩壊 ↓ ''キラ巻き込まれる'' 逃避行〜アルテミス | ''フレイの拒絶,指令のコーディネーター差別。'' ↓ ''それまでの仲間には感じていなかったナチュラルとコーディネーターとの溝を感じる'' ラクス救出〜第8艦隊合流〜大気圏突入 ↓ ''コーディネーターとナチュラルを区別しない人の存在,守りたい人(エル)の死'' バルトフェルド戦〜オーブ(ニコル,トールの死〜アスランとの決着) ↓ ''戦いの意味を問われる'' プラント ↓ ''戦いの意味について考える'' アラスカ〜オーブ〜宇宙 ↓ ''己の戦いの意味を打ち出す'' メンデル ↓ ''黒幕の登場と事の真相'' 最終決戦   ''守りたい人の死と和解''   ''己の戦いの決着'' こうやってみると,どうもキラの場合,戦争を終わらせる(のも目的ですが)よりは,黒幕(=クルーゼ)を倒すことが話の根幹じゃなかったのかと。その辺は,ジェネシス破壊の役割をアスランに割り振った点からも間違いないのじゃないかと感じています。 そう言う意味では,前半部分でのキャラ描写の厚みのなさが影響しているってのは,間違いないかなと思います。(むろん,途中で作品の流れが変わることがあるのは承知の上ですし,この結末が当初想定されていた終わり方ではないことも承知してます。) あ,キャラ描写等の書き込みのなさを総集編のせいにしている人もいるようですが,私は違うと思ってます。総集編はうまく使えばキャラの描写を際立たせることが可能です(実際∀では,ロランのキャラクタとストーリーがわかりやすくまとまっていたと思います)し,総集編がなかったとしても冗長な部分が増えただけであまり変わらなかったような気がします。単にこれは,スタッフの力量不足と見ています。 蛇足になりますが,富野由悠季監督の総集編を作る技量ってのはすごいと思います。∀ガンダムの初見が劇場版という人が,(いくつかちょっとわからなかった点はあったとはいえ)面白かったという感想をくれました。私も,∀ガンダムは,ビデオ録画しておいて見ましたので,正直飛ばし見をしていたのが劇場版を見たことではっきりした部分が多々あります。 一年間50話の作品が,わずか4時間弱という枠に押し込められても「理解できる」わけです。富野監督の編集能力のすごさを再認識したわけですね(^^;(※2) (あと,別枠でも語るつもりですが,使い回しのうまさも^^;)(※3) さらに脱線しますが,種を富野監督に再編集してもらうってのはどうでしょう? 意外と見やすくなったりして(笑) さて,ここで先に挙げた「設定が活かされてなかった」という点についても触れておきます。 主人公が二人という設定も活かされていませんでしたが,それ以上に活かされなかった設定は,羽クジラです。ただ,これについては別に決着つける必要はなかったんじゃないか,というのが個人的な意見です。(なぜなら,先に述べたように種=キラの話として既に見ていたからです。) 結局,主観がはっきりしていなかったから話題に出た設定が活かされてなかったという点もクローズアップされてしまったという感じでしょうか。 先の総集編が下手ということにもつながるんですが,1回目の総集編でジョージ・グレンと羽クジラのことをかなり力を入れて説明しました。これが原因ではないでしょうか? ジョージ・グレンについては,後のメンデルでクルーゼが語る言葉とキラの関係がありますので,壮大な複線とも見れますが,羽クジラは,グレンが発見したという程度で止めておいてもよかったんじゃないかと。その後も,あちらこちらで意味ありげに登場させてますが,結果的にこれが羽クジラの印象付けに一役買ってしまい,「活かされなかった設定」という認識を強めたと考えられます(※4)。作中で軽く触れて「裏設定だよ」と割り切ってしまえば,アストレイなど発表媒体はいくつもあるわけです,多分,軽く流れたんじゃないかと思うんですよね。もっと言っちゃえば続編など新たな作品を作る土壌にもなりえたんじゃないかなぁと。(「あ,あれは謎だったけど,実はそうだったんだ」みたいな感じで^^;) 上記はよけいな冗長部分が認識を悪くした例ですが,逆に描写不足で認識を悪くした例が,アスランとの決着後キラが助かった理由等についてでしょう。 これは,作中でマルキオ導師の家の前で倒れているキラの絵が挿入されるだけでした。だからこそ,キラワープなんて揶揄されたり,アストレイで真相が語られたときにバッシングされたりしたんですよね。これが,マルキオ導師の口,あるいはラクスの口から「キラを運んできてくれた人がいる」という一言がキラに対して語られていたら,アストレイで真相が語られたときにバッシングではなく,外伝とリンクしていることがわかって面白かったと思うんですよね。(セーフティシャッターについてもしかりで,状況がきっちり描写されていれば,その存在も「裏設定」ですんだと思うんです。) 他にも細かい点を上げればきりがないんですが,やはり作品主観の曖昧さとちょっとした描写の過不足がこれらの認識を強めたのではないかと思います。 個人的には,種の場合,設定とネタバレの流出が激しかったことが,その認識を悪くしてると感じています。(ネタバレは,どの作品もありますが,これほどひどかったことはないと思います。) 特に設定の流出は激しく,数多くの「裏設定(ネタバレ)」が早くから表に出ていました。そのため,「使われなかった設定」というものが多かったんじゃないかと思います。 時代が違いますし,本来比較すべき物ではないんですが,初代ガンダムの場合,基本的に作品はストーリー中心で進んでいました。設定って言うのはどちらかといえば後付です。裏設定の多くは,作品終了後に流出した物ですし,またそのほとんどが後付設定です。ところが種の場合,設定を先に作って世界を構築した後,作品がスタートしています。それはかまわないんですが,その際にできた細かい設定まで放映中に次々と表に出てきました。それがキャラクタに対する注目を逸らしてしまったんじゃないかという気もしてます。(プロヴィデンスみたいにギリギリまでばれない程度の情報管制が敷けなかったモノかと思いますね。それができていれば,また評価が変わったかもしれませんが・・) 総括しますと,キャラ描写はスタッフの力不足(キラに関して言えば,注視させられなかった点はマイナスだが,とりあえず「可」),ストーリーに関しては,(キラのストーリーとしてみれば)合格点,メカ描写については(気に入らない点はないとは言いませんが)合格点,といったところでしょうか。 ですから,個人的には「それなりに楽しめました。が,消化不良。」というわけです。 ---- !!脚注 !※1 この件について,若干ながら意識が変わりつつあります。 と,いうのも,アニメージュ11月号の総括を見て,引っかかっていた部分で納得ができた部分が多々あったためです。 種の終了に関して,私にしては珍しくアニメ誌の買い漁りを行いました。むろん,これだけ賛否あった作品の終了に関して特集が組まれないはずはないとの考えからです。 私は通常模型誌メインで,アニメ誌はほとんど購入しません。(逆に言えばそれだけ最近はみたいと思うアニメがないことを意味しています。そう言う意味でも,1年間リアルタイムで見続けた種が特殊であると自分では感じています。) !※2 今更語るまでもないんですけどね(^^; ファーストガンダムの映画版では,まだぎこちなさがあったと思う(このころは,そんなこと考えられるほど私も物事を経験していませんでしたので^^;)んですが,イデオンを経験した後のザブングル・グラフティで,この人の編集能力は凄いと感じました。 あの(いい意味で)しっちゃかめっちゃかなストーリーの展開を見せるザブングルが,あれだけのキャラを出したうえで,見事にストーリーとしてまとまってたんですよね(^^; !※3 使い回しについての項目をたてきれなかったので,簡単にここに(^^; 種では,非常に使い回しが目につきました。シーンの使い回し,例えば,ニコルやトールの死の部分,については,演出意図などがあるでしょうから,あまり細かく言うつもりはありません。(あえて言うなら,タイミングをもうちょっと何とかできなかったのか,というのはあります。効果的な部分でインサートされなかったので,何度も繰り返されたというイメージだけ残ったのだと思います。) それよりも,戦闘シーンでのセルなど,バレバレの使い回しの方が気になりました。 例えば,フリーダムの一斉射撃のシーン,それによるジンの破損シーン(機体番号が同じなのでなおさら・・),ストライクの発進シーン(全てエール),等です。 ほんのちょっと手を加えたり,1枚セルを重ねるだけで大きく印象が変わっていただろうと思われるシーンも多かったと思います。ファーストガンダムの場合,「え,このセル使い回し?」というようなシーンが多いです。この辺は,スタッフの力量がでたのかと感じています。 !※4 アニメ誌の総括では,スタッフが羽クジラは最初からそれほど重要なポジションではなかった,という趣旨の発言をしています。 だったら,なおさら,印象づけするような演出は失敗ではないのでしょうか? ただし,羽クジラの遺伝子がキラ等に組み込まれている,という設定があったことは私も聞いています。となれば,そっちをオープンにして,先の総括のような発言を止めるべきです。制作中に,設定が変わることは多々あります。死ぬはずだった人が生き残ったり,表現方法を変えるために,基本設定の一部が変わったりということは,1年間の長期番組だとよくあることでしょう。これだけネタバレが横行してしまった作品です,逆に変わった設定は,変わった設定で公開してもいいんじゃないでしょうか。先のような発言は,なおさら演出がまずかったというのを強調しているように見えますから。 (これは,設定が変わることを非難している人がいるのは承知の上で書いてます。10本前後の短期決戦の作品ではなく,1年かけてリアルタイムに作っていく作品であることを考えれば,私は設定が変わることはやむを得ないと思います。作品を反故にするような変更は問題ですが^^;) ---- 2003/10/07:脱稿,公開 2003/10/14:改訂 ---- *(C)Mist Asagiri @ 限定公開!実験場