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考察:Laboratory Report/第2章 宇宙世紀の技術(3)

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第2章 宇宙世紀の技術

 宇宙世紀の概要については,前章で簡単に説明を行った。本章では,これら時代時代に応じた技術的な面を概要と詳細の形でまとめていきたい。また,各陣営ごと,開発メーカーごとのMS開発に関する技術系譜等も本章で扱う。
 特に,宇宙世紀初期と記録の残る終盤である,200年代ではその世界環境が大きく異なるため,これらも含めて技術論という形でまとめておく。

 なお,各モビルスーツの詳細データ等,個別考察については第4章以降にまとめているので,そちらを参照してほしい。

 2-3 ターニングポイントMS-04


 MS-01〜03を経て,実質的に稼働可能な実用機レベルとして誕生したのがMS-04である。この機体は,各部が整理されていないことを除けば,後のMS-05とほぼ同じ機体であると言っても過言ではなく,ジオニック社に出向していたエリオット・レムらの努力が実った機体といえるだろう。
 とはいえ,下請け各社に機体生産が発注されたUC0073年4月時点では,MS-04は未だ完成状態ではなく,あくまで設計上の機体であったと考えられる。そのため,これらの機体データとパーツ類を元に,ジオニック社は先に挙げたホシオカ社をはじめとした下請け企業にこの機体の開発を極秘に進めることを依頼したのである(*1)。この時点での発注の目的は,各社による機体の組み立てと各種チューニングデータの収集であり,この点からも全く新規の機動兵器の開発のために数多くの試行錯誤が行われていただろう事は想像に難くない。
 こうした様々なデータの収集のために,ジオニック社は,系列各社にMSの開発を要請し,また,これによって多くのメーカーがMSという機体を開発するための設備を整えることとなった。(この点に関しては,先に提示した<資料[4]>でホシオカ重機の開発顛末記を参照していただきたい。)これらのメーカーの中には,MS-04,MS-05といった機体の開発だけではなく,後の水陸両用MSの開発に関わるメーカーも加わっていたと考えられる。(無論,現在確認されている資料では,これを裏付けるものは存在していないのだが,状況からして間違いないと思われる。)

 当初,ホシオカに提供されたMS-04はマニピュレータが3本指であるなど,後のMS-04いわゆる「プロトタイプザク」とは細部が異なっている。資料中でも語られているが,このMS-04は,「MS-04のための試作機」といった扱いの機体であったのだ。この機体は,パーツ単位での実機検証機というレベルの物であり,実際の設計データに従って「建造されただけ」の代物である。本来MS-04に求められていたパーツ群に関しては,これらの機体を建造していく過程で設計が煮詰められ,改めて設計データが提供されていく,といった扱いだったと考えられる。つまり,建造された機体は,常にそのパーツ単位でのアップデートが繰り返されており,時期時期でその細部は異なっていたであろう事は想像するに難くない。

 これは,プラン上の機体を開発を進めることで煮詰めていくというスタンスで開発が進められていた場合に起こりがちではある。一見面倒な作業ではあるが,これはMSという全く新しいカテゴリの機体を製造するためにこのような手法がとられたと思われる。また,OSに関しては,ホシオカが大きな貢献を果たしたことは先の資料に詳しく,制御OSのリミッターなど,想定外の事態が多発していたことも資料内の記述から判断できる。この資料にはホシオカ以外の企業の描写は無いが,実際にはホシオカを含む,これらの中小メーカーがMS開発に果たした貢献というものは,(表には出ていないが)多大な物があったのではないかと想像できるのである(*2)。
 これを示す事例の一つが先の資料内のMS-04のコンペティションの様子からうかがい知る事が出来る。このコンペティションでは,ホシオカが開発した機体と,ジオニックで開発した機体が使用されている。これは,「そのうち3機は駆動部分を以前の設計に戻し,それぞれのパワーバランスをわずかに変えただけの機体。残り1機は別工場で組み上げられた改良機」という表記で示されており,ホシオカで建造された機体以外は,あくまでデフォルトに近い機体であるとも読み取れる。
 しかし,逆に考えると「わずかに変えたパワーバランス」の元となるデータがどこから得られているのか,という疑問点に突き当たる。
 このMS-04の「微妙なパワーバランス」が,OSの問題なのか,駆動モーター類の問題なのか,これについては文献には明確な描写が存在しない。しかし,劇中でホシオカが行った作業の大きな部分として,駆動系のバランスとOSのセッティングがあったことから,これらのコンペティション提出機のセッティングに他のメーカーが関与していないとも言い切れないのである。
 同様に,ホシオカを切り捨てたジオニックが,MS-04の各種設定に苦労している描写が文献には存在する。これは,ホシオカがシミュレーションデータによる数値的な改良ではなく,実機を運用したことによるデータ修正を行っていたことに起因したもの(ホシオカは,これを理由にジオニックから切り捨てられている)である。
 だが,これがきっかけで結果的にMS-04のコンペティションに参加することとなったものである。つまり,実証データによる検証によった改良である為,データが提示されていなければ,この改良を「ホシオカ以外が行う事は不可能」ということになるのである。

 では,逆にシミュレーションデータ上での修正を中心とした改良を行っていた下請けメーカーがあったとしたらどうだろうか?

 得られたデータは,あくまでコンピュータ上での数値データである。すなわち,ジオニック社がそのまま活用することが可能であり,その下請けメーカーが切り捨てられたとしても,改修データそのものはジオニックに残ることとなるのである。このように考えると,コンペティションに用いられた3機のジオニック製MS-04も(エリオット・レムの1機は除いたとしても)別メーカーのデータにより組み上げられた機体である可能性があるのである。つまり,MS-04の開発に関わっていたメーカーは,他にもあるであろうことがここでも想像することができるのである(*3)。また,このことから実際に開発されたMS-04もこのコンペティションに投入された4機だけではなく,ホシオカが製作した試作機2機を含めて,非常に多くの機体が完成していただろうことは,想像するに難くない(*4)。
 つまり,MS-04という機体は,MS-01〜03という「実験機レベル」の機体とは異なり,明確に「実用機」とするための実証のための機体であり,(試作機レベルの機体であるとはいえ)かなりの数のパーツが生産されたことは間違いない(*5)だろう。

 このMS-04のコンペティションにおいて,ホシオカ製の機体が勝利したという事実は,ホシオカをジオニック傘下に留めただけではなく,ジオニックに対するホシオカの発言力を増したということであろう。(これは,ジオニック社からホシオカに出向していたテオ・パジトノフについても同様であろう。)そして,このことが結果的にホシオカがMS開発において大きな位置を占めたことは間違いなく,実際,先の資料においては,MS-05のプランニングにおいても,ランドセルのユニット化など様々な提言をホシオカが行っていたことが確認できるのである。(この資料から,MS-05の初期型27機はホシオカが開発した機体と考えられる。)
 さて,この<資料[4]>では,MIPやツィマットといった後のMSやMAの開発メーカーが,MS-05のプレス発表に合わせてライセンス生産に加わっていることが触れられている(*6)。ライセンス生産というものは,ある程度機体の生産に関わる情報が(当然,該当する企業間に限られるが)公開可能なレベルにまで一般化してなければならず,なおかつ,いずれの企業が生産しても一定のレベルの製品(この場合兵器だが)として生産できるものでなければならない。そういったことから,MS-04の開発が行われていた時には,すでに各軍需産業には様々な「MSという兵器の情報」が公開されていたと考えられるのである(*7)。そして,それら軍需各メーカーの下請けは,それぞれメーカーごとの依頼によってこれらの「MSという兵器の情報」を基に様々な基礎研究を行っていたと思われるのである。

 では,その基礎研究に用いられたデータは,がどこから得られたものか,といえば,先に採用されたMS-01〜03のデータであることは間違いないだろう。
 つまり,「Zi-XA3」という機体の時点では,あくまでジオニック社の開発機であり,データ類も社外秘の段階であったと思われる。しかし,MS-01として登録されていこうならば,軍需産業としては基礎データは提供されてしかるべきである。特にMSは新カテゴリの兵器である,ライセンス生産に参入するためにもそのための設備類が必要であり,事前準備はかなり必要である。その準備には莫大なコストと時間が必要になるのである。MIP社やツィマット社は,そういった準備を行ったうえでライセンス生産に参入したわけである。

 さて,ここで少々疑問ののこる部分がある。

 すなわち,実績のあるMIP社(*8)はともかく,この時点ではそれほど大きな実績があったという記録が残っていなかったツィマット社が如何にしてMS-05のライセンス生産に参入できたのか,という部分である。軍需関連であり,開発するものが兵器(ただし,発表時には兵器としての発表ではなかったが)ということを考えると,ライセンス生産に参入するには,基礎研究だけではなく,生産能力などの何らかの「実績」が必要になってくるのである。

 それを確認しようにもこれまでツィマット社の一年戦争勃発前の実績については,触れられた資料がほとんど存在していなかった。ところが,近年発見された映像<資料[5]>の中で,初めてツィマット社の実績といえる記録が見つかったのである。この映像記録には,これまで明らかにされてこなかったツィマット製MS,「EMS-10ヅダ」の記録があり,このEMS-10のベースとなった機体こそが,「MS-05と採用を争ったEMS-04 ヅダ」,だというのである。
 つまり,MS-05の採用に際しては,競合機が存在し,それを開発したのがツィマット社だったというのである。

 記録映像では,MS-05(この採用を争っていた時期の型式は異なっていた物と想定される)(*9)の採用に関しては,ジオニック社の裏工作があったためだとされているが,記録映像の内容やそれに関連する各種資料類では,EMS-04は,確かに軍に一定の評価を得た物の総合的な性能と機体自体の持つ欠陥が元で採用を見送られたと考えた方が無難である。また,ジオニック社の裏工作についても,それを匂わせるかのような記述は散見できるものの,実際にはタイムスケジュール的に当初からMS-05の採用が既定路線であったと考えた方が無難であると思われるのである。

 ただ,確かにEMS-04は画期的な機体であっただろうことは,(ほとんど改修されていないと言われている)後のEMS-10を見ても想像するにたやすい。この点が,実績として評価され,MS-05のライセンス生産に参入できたのであろう。
 この点から,「ツィマット社の実績」に関しては,OEM参入には問題は無いかと思われる。また,元々ツィマット社は,航空機系の技術開発には優れたものがあったとされており,この点もMS開発のためのデータ供給を受けることのできた理由のひとつではあろう。
 しかし,いくら基礎データを入手できる立場にあったからといって,あれだけの高性能な機体をわずか短期間で開発できるその企業能力はどこにあったのだろうか。この点に関しては,未だ明確な資料はないのである。

 次節ではここで提示したツィマット社だけではなく,様々なMS開発関連企業についてまとめていきたい。


 註釈

 本文中の注釈である。
 記述スタンスは,基本的に「執筆者の視点」ではなく,「(我々)編集者/閲覧者の視点」で行われている。

(*1)

 デベロッパーズでは,ホシオカ中心にストーリーが進行しているため,そのような描写は無いのだが,ストーリーの展開から,ホシオカ以外にも「切り捨ててもかまわない下請け」にこの機体の開発を委託していた可能性は高い。
 つまり,作中の描写でも,既にMS-04が複数機建造されているであることは,十分推測可能なのである。
 特に劇中で最初に建造された機体は,MS-04としても完成したものではないことから,各企業ごとに異なったデザインのMS-04が誕生していた可能性は高い。

(*2)
 逆に言えばホシオカ以外の企業の多くが,ジオニックから切り捨てられたという現実も想像することができる。おそらくであるが,貢献した企業のうち,後に切り捨てられる企業とジオニック系にさらに取り込まれる企業とに振り分けられた物と思われるのである。これは,劇中のホシオカの顛末からも明らかであり,この事実は次項で述べるツィマット社をはじめとする多くの企業に影響を与えることとなる。

(*3)

 この前提は,後のセクションで重要になることを付記しておく。
 MSの開発が,ZEONICという単一企業で行われた,というのはどう考えても無理がある。下請けや系列の多大な貢献があってこそ,「商品として」成立する「製品」が誕生するのである。
 これは,工業製品である限り,どうしても避けようのない事実であり,それだけにMSという工業製品が,いかに誕生したか,デベロッパーズの描写は重要なものなのである。

(*4)

 これも本考察を考える上での条件としては非常に重要なものである。
 前提条件として,「パーツレベルの物を含めると,MS-04はかなりの数が生産された」と言うことはデベロッパーズ作中からも充分想定可能である。
 余談だが,この考え方によりかつてG2Oで提示されたMS-04アーリーザクの存在についても考察的にクリア可能である。(アーリーザクに関しては,本書ではフォローしていないので,詳細はWiki内項目を参照のこと。)

(*5)

 参考程度にしかならないが,G-SAVIOURにおける設定では,G-SAVIOURはパーツ状態まで含めて,少なくとも6ダース(最低限70機分ほどのパーツ)ほどの機体が生産されたと言うことである。つまり,実証・検証機としての機体であるからこそ,実際の生産数はそこそこあるのではないかと考えられるのである。
 宇宙世紀の機体でいえば,他にMS-06Rタイプなどがいい例だろう。
 現在では,R-1A型が56機説が有力だが,資料によっては100機あまり生産されたという記述もみえるのである。Rタイプの総数は,R-1からR-1A型に改修されなかった機体を含めても,78機〜80機が妥当とされており,この点から考えても100機あまりという数値にはとてもとどかない。逆に言えば,この機体数のズレは,パーツレベルを含めた生産数(組み上げられた場合の総数)と実際に組み上げられた機体の総数の違いと,解釈するのが妥当なのである。

(*6)

 MS-04のコンペティションが,UC0073年12月で,MS-05の初期型のロールアウトがUC0074年2月である。MS-05Bへの移行決定のUC0075年5月,同ロールアウトのUC0075年8月を考えると,劇中の表現を前提とすると,MIPやツィマットのMS-05へのライセンス生産参入は,初期型ロールアウトの直後あたりと考えるのが最も適当であると考えられる。
 そして,MS-05のプレス発表時には,すでに月産数まで発表できる段階まできている。つまり,早くからライセンス生産の体制を整えておかなければ,こういった発表は不可能である。(要するに,OEM各社で少なくとも製造ラインが構築された状況であり,場合によっては,少数の生産がスタートしていた可能性もある。)

(*7)

 筆者の推察ではあるが,こういった情報を利用して真っ先に独自機体の開発を計画したのがツィマットであったのだろう。それだけに,EMS-04という「MS-05と採用を争った機体」が誕生したものと思われるのである。
 また,ツィマットが開発した機体が,なぜあのように問題点を抱えていたか,という点も時間軸を考えるとある種納得は出来るのである。

 つまり,UC0073年12月にMS-04のジオニック社内コンペティションが行われているが,MS-05として初期型がロールアウトしたのが,そのわずか2ヵ月後のUC0074年2月なのである。この短期間で,YMS-05とEMS-04のコンペティションが行われるには,EMS-04そのものがかなりの突貫作業で設計されてなければならないのである。
 先のジオニック社内コンペティションで,ギレン・ザビがMSそのものに対する評価を下したかの様な描写も存在することから,この直後にOEM各社にデータ公開が行われ,MSという機体の建造にジオン公国軍の兵器体系をシフトする旨が通達されたと考えられる。
 この時点で,ツィマット社は独自参入の道を探ったが,MS-05に敗退,改めてOEMに参入ししたのであろう。

(*8)

 先の新兵器コンペティションでは,ジオニック社のZi-XA3が勝利したが,MIP社のMIP-X1の評価も高かったという記述は様々な書籍で見ることができる。

(*9)

 後に一部資料で,YMS-05という型式番号が提示された。

 資料

  • 資料[4]:Developers
  • 資料[5]:MS-IGLOO 一年戦争秘録 / 黙示録0079

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最終更新時間:2011年08月15日 17時24分33秒

脚注