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バンダイの変更点

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!!!バンダイ
*[関連企業]
//*読み:
*分類:関連企業
!!説明
 株式会社バンダイ。
 言わずと知れたガンダム作品のメインスポンサー。
 ガンプラ,映像作品の販売元でもある。
 作品の製作会社である(株)サンライズもグループ企業のひとつである。
 2005年にゲームソフト開発メーカー「ナムコ」と経営統合し,バンダイナムコホールディングス(持ち株会社)を設立,同社の子会社となっている。

 なお,有名な話ではあるが,機動戦士ガンダムの本放映時にはスポンサーではなかった。
!設立からポピー・バンダイ模型の設立まで
 バンダイの設立は1950年にまで遡る。元々は,創業者の親族経営企業であった繊維会社から独立した形で創業された小物玩具会社で,製造された玩具(当初は布製品やゴム製品,金属玩具)は,そのほとんどが海外輸出向けの製品であった。このため,国内向けには事実上流通しておらず,国内向けを製造し始めてから名が知られるようになった。

 戦後設立の企業であり,なおかつ,輸出中心の企業であったため,国内生産を手がけるようになってからも旧来の玩具業界から反発が強く,障壁が大きかったことから,同様の玩具メーカーであったタカラ,エポック社と協同で「玩具三社会」という共同組織を設立(1961年),共同で見本市を開催するなどの市場開拓に乗り出す。(これには,後にトミー,ニチガン,学習研究社が加わっている。)
 また,商品展開や販売網の問題から,輸送会社の設立も行っている。

 1967年,経営破綻したコグレの金型等資産を譲り受けたことで,模型業へと進出。これに,1969年に倒産(この時は経営再建に成功している)した今井科学の工場と金型を譲り受け,本格的なプラモデルメーカーとして業務を開始している。

 一方,1968年に旧来の商慣習を覆す「無返品取引」を提示したため,問屋業界から反発を受け,バンダイに対する不買運動から玩具業,模型業ともに不振となった。(この時期倒産の噂も流れている。)このため,無返品取引を撤回し,さらにサンダーバードブームの継続をもくろんだ「キャプテンスカーレット」が不振であったことから倒産した今井科学の再建支援をバンダイが行ったことで,この騒動は収束することとなった。(なお,現在では原則として問屋買い切りであり,当時の方針が,一応は根付いたこととなる。)

 こうした騒動から,バンダイ本社は,玩具部門,模型部門の切り離しを行い,1971年,「ポピー」,「バンダイ模型」が設立されている。
 両社は,それぞれが独自に業務を行い,特にポピーは本社が手がけなかったキャラクター関連商品の開発によって大きく成長することとなる。
!ポピー
 1960年代の商材展開の失敗から設立されたポピーは,現在では,バンダイのキャラクター玩具部門であったとして認識されるメーカーである。実際には,現在のバンダイのキャラクター玩具は,ほぼ全てがポピーを源流にもつものであり,様々な男児玩具・女児玩具のみならず,いわゆるマニア向け玩具の開発においてもポピーが源流にあるといっても過言ではない。

 ポピーは,仮面ライダーのヒットに伴う「変身ベルト」やマジンガーZの「超合金」といったヒット商品を連発,バンダイ本社の売り上げを凌ほどに成長する。さらに,従来怪獣玩具を発売していたブルマァクの倒産により宙に浮いていたウルトラシリーズの商品ライセンスも獲得,以後ソフビ人形を中心としたウルトラシリーズもヒットすることとなった{{fn 70年代はじめは第2次ウルトラブームとも言うべき状況があったが,70年代後半に入ると,怪獣ブームは衰退している。(スーパーカーブームなどが到来している。)こうした時期である78年にバンダイはウルトラシリーズを発売したのだが,従来のソフビ人形と比べるとリアルなできであったバンダイ製ソフビは人気となり,これがきっかけでザ・ウルトラマン,ウルトラマン80の製作に繋がっていくのである。}}。
 元々ポピーの設立には,60年代のバンダイ本社の失敗があったとはいえ,当時としてはまだまだ大きな市場ではなかったキャラクター玩具に参入するという状況が影響したともいえる。当時,キャラクター玩具開発を前面に押し立てたかたちでの玩具メーカーはほとんど例がなく,仮面ライダーの製作に際して,玩具開発のために製作当初から関わったことがきっかけでもあった。

 この玩具開発の手法は,新たな作品を放映する際に,発売する玩具のデザイン,スケジュール等に玩具メーカーが介在するというもので,現在でいう「キャラクターマーチャンダイジング」である。こうした手法をとったのはポピーが初であり,以後,様々なメーカーが,こうしたスタイルを踏襲するようになった。
 1983年,バンダイを存続会社として,ポピー,バンダイ模型,バンダイ出版などが合併した新生バンダイの誕生により,ポピーは企業としては消滅している。
 なお,その後ポピーはブランド名として残っており,B-CLUB製ガレージキットなどでポピーブランドが使用されている。
!バンダイ模型
 バンダイ模型は1971年設立であるが,実際には1967年の模型メーカー「コグレ」の倒産に端を発するメーカーである。コグレの倒産によって,金型などの資産を買い取ったことから,バンダイ本社内に模型部を設立し,1969年に今井科学の静岡工場と金型を引き取った(この際,静岡工場に関与する社員の多くもバンダイの依願によりバンダイへと移籍している)ことで生産拠点も確保できたことから,1971年にバンダイ模型が設立された。
 この時点では,企画開発,生産は静岡で,営業販売を本社で行うという体制であり,商品のほとんどがコグレ,今井の再生品であったため,バンダイ製のプラモデルに対する評判は悪く,メーカーとして見られていないという状況であった。
 このため,新製品の開発が急ピッチで進められ,ミリタリーキット(1/48AFVが特に有名)や自動車模型などを次々とリリースする。また,モノグラム社と提携し,同社キットを国内生産・販売したことで大型の自動車模型とならび海外製高級キットの販売を手がけるメーカーとの印象を持たれるようになっていく。
 一方,トラック野郎シリーズの製品化など現在で言うところのキャラクターキットに近い製品も多数発売し,これらの多くはヒット作として長く販売されることとなった。

 1977年,バンダイが発売した「宇宙戦艦ヤマト」シリーズでキャラクターキットにひとつの転機が訪れることとなる。従来のキャラクターキットは,ほとんどが何らかのギミックを搭載した「組み立てる玩具」として製品化されていたのに対して,宇宙戦艦ヤマトの各キットは,ほとんどがディスプレイモデルであった。(当初,いくつかのキットはギミック内蔵のキットであったが,後に改修されディスプレイキットとなっている。)
 また,ラインナップも幅広く設定されたため,従来のキャラクターキットに不満を持っていた層が飛びつくこととなった。(彼らの欲求が「バンダイによるガンダム模型化」に繋がっていく。)
 1980年,いわゆる「ガンプラ」が発売されると,爆発的ヒットとなり,プラモデルというジャンルの位置づけすら覆す状況へとなっていく。(実際,この年を区切りとしていわゆるスケールモデルの販売状況がキャラクターモデルに逆転され,以後双方とも減少しているが,プラモデル=キャラクターモデルという状況が続いていくこととなるのである。)
 なお,81年〜82年にかけてはガンプラの爆発的ヒットのため,バンダイが生産調整を行って商品が足りないなどといった噂が流れる程であった。一方で,一部業者の値引き合戦に対してバンダイが行った希望価格の遵守に対する契約が公正取引委員会に是正されるなど,まさに「ブーム」と言わざるを得ない事件が多発したのだった。

 1983年,バンダイを存続会社として,ポピー,バンダイ模型,バンダイ出版などが合併した新生バンダイの誕生により,バンダイ模型は企業としては消滅している。
 しかし,ブランド名こそ「バンダイ」に統一されたものの,実質的にプラモデル部門に関しては,当時と同様静岡が起点であり,ガンプラの国内生産という方針は維持されている。
!バンダイ出版
 バンダイ出版は,1978年に設立された企業できっかけとしては,先行する田宮模型が頒布している「田宮ニュース」のような情報誌を刊行するためであった。
 しかしながら,実質的な部分で言えば,二代目社長の多角化経営の先陣を切った企業のひとつともいえる物で,1980年代半ばには書店販売の雑誌コード等の取得にまで至っており,その後は数多くの出版物を刊行している。(この時点では,既に「バンダイ出版課」となっている。)
 1983年の統合により,バンダイ本社に吸収されている。

 なお,バンダイ出版課は,その後も多数の雑誌や書籍を刊行しているが,1994年に実質的に解散しており,そのほとんどがメディアワークスへと移籍している。また,これに合わせ,バンダイの刊行物のほとんどは姿を変え,メディアワークスから刊行されるようになっている。(詳細は,[[アスキー・メディアワークス]]参照。)
!ガンプラブーム後から1990年代まで
 1980年代は,ガンプラの大ブームで始まっており,バンダイグループの売り上げは加速度的に上昇していくこととなる。この時期,海外支社が設立され,再び玩具輸出にもちからをいれることとなった。

 1980年代の最大の特徴は,1980年の社長交代にあるともいえる。
 1980年に就任した二代目社長は,玩具業よりも出版業などに興味を持つ人物であったことから,経営の多角化が進められることとなった。
 既にこの段階で,玩具はポピーによる圧倒的状況であり,模型もガンプラが席巻する状況であった。その反面,新たな玩具(テレビゲームなど)の芽吹きも見えつつあり,玩具一辺倒から他の分野に経営のリスクを分散するという意味合いもあった{{fn とも言われるが,社長が玩具部門と折り合いが悪かったとも言われている。}}。
 結果として,多種多様な業界へと参入するための下地が作られていったのである。

 1983年,バンダイを存続会社として子会社を統合,新生バンダイとしてスタートしたのは,株式上場を目指したものであったが,ほぼこれと同時に,様々な「事業部」が設立され,これらが各業種へと参入したのである。(アパレル事業部,食品玩具関連,映像製作・販売,ゲームソフト販売など。また,パソコン関連の技術部門やソフトウェア部門も設立された。)
 1986年,株式上場が実現,多角化も加速していくこととなった。
 90年代に入ると,レコード会社を傘下に加え,従来から販売業として運営されていたバンダイビジュアルが,企画から販売まで手がけられる映像部門の大きな柱へと発展した。(この際に,北野武作品へと出資,以後,ほぼ全ての作品に関与している。)
 また,系列の卸業者を統合し,ハピネットを設立,運輸業のバンダイロジパルと共に,生産から販売(卸)までを一貫して取り扱うことが可能となった。
 また,94年には日本サンライズ(現サンライズ)がグループ企業となり,製作会社も傘下に収めることとなった。(その後も葦プロダクションのグループ入り,円谷プロへの実質的経営参加など,作品の制作元としての関与も行うようになっていく。)

 だが,1990年代の終盤は,バンダイにとっては極めて厳しい時期となっていく。
!多角化経営の失敗と撤退
 1980年代末期は,任天堂のファミリーコンピュータに始まる家庭用ゲーム機が席巻した時代であった。バンダイもファミコンソフトの開発に参入するものの,これらは売り上げそのものに反映はされるものの,結果として任天堂やセガといったゲーム機メーカーの売り上げも伸ばすこととなった。

 当時は,こうしたメーカーに後れを取っているという判断であった(家庭用ゲーム機も玩具と同じ製品と考えていた)ため,バンダイもゲーム機開発に参入,プレイディアを開発するものの,製品そのものがかつてのテレビ接続のゲーム機と大差なく,魅力に欠けていたため失敗,1996年には本格的ゲーム機(およびパソコンとしての機能を持たせた)「ピピン@」を投入するも,既に新世代機であるプレイステーションやセガサターンの登場後の状況としてはインパクトに欠けた上,高価格であったことがネックとなり,(また,アップル社のMacintoshに関する営業戦略の変更もあり)失敗に終わってしまう。
 こうした状況から大幅に減収となった状況下で,さらに玩具部門の不振も影響したことから,1997年ついに経営安定を目指した上層部は,ゲーム部門で先行するセガとの合併を模索することとなった。一方セガもまた,当時は玩具業などに参入を目指していたこと,また,SCEのPlayStationにセガサターンの売り上げが敗北する状況にあったため,キャラクタービジネスに強いバンダイとの互いを補うことのできる「セガバンダイ」としての合併には大きな利点があったためである。
 しかし,様々な要素からこの合併は頓挫することとなる。

 正確な情報は明らかとなっていないが,セガとバンダイの社風の違い,新たに発売した「たまごっち」が大ヒットとなったこと,などが理由として語られることが多い。
 なお,合併こそ回避されたが,その後もセガとバンダイの協力関係はしばらくの間継続し,セガのゲーム機向けソフトウェアの開発が優先されることとなった。

 しかし,バンダイの経営危機は,まだまだ解消したわけではなかった。セガとの合併が破断した結果,社長交代が行われたが,実質的な経営体制は二代目社長のころと大差なかったのである。大ヒットを飛ばした「たまごっち」のブームの収束時期を見極めきれず,膨大な在庫を抱えたこと,そして,1998年にピピンからの撤退を決定したことで莫大な損失を計上することとなったのである。
 わずかな期間で再び社長交代となったのである。

 新たに就任した四代目社長は,事業整理に着手,多角経営の放棄と収益事業の立て直しが行われた。まず海外支社,販路の統廃合により海外負担が大幅に軽減された。同様に,これまでは数多く出資していたエンタテインメント系事業も整理され,複数あったグループ企業も統廃合されている。
 また,本業である玩具部門なども整理され,各事業部ごとにターゲットを絞った商品開発を行うこととなった。(とはいえ,バンダイという企業体の宿命か,事業部ごとに絞ったはずのターゲットが結果的に重なり合うことも多く,同一企業内で競合することも多い。しかし,これをマイナス面と見なすのではなく,互いが競争することで商品の質を高めるという考え方もあった。)

 2005年,収益改善が達成され立て直しに成功したバンダイは,21世紀の少子高齢化に対応した事業経営を想定した生き残り策を模索,これまで協力関係にあったゲームソフト開発メーカーのナムコと経営統合し,持ち株会社を設立,そのグループ会社として位置づけられた。なお,この統合は,両社にメリットがある上,互いの社内からも推進する声が高く,極めて好意的に受け止められたとされている。

 2006年,経営統合後の事業再編が実施され,バンダイから家庭用ゲーム部門が切り離され,ナムコを主体とするバンダイナムコゲームスが設立される。また,アミューズメント事業の整理も行われ,バンダイは玩具や模型といった部門に注力する企業体として再編された。
 以降は,主に玩具,模型を中心とした展開を行っている。
!プレミアムバンダイ
 2009年4月20日にオープンしたバンダイの公式サイト。
 いわゆるネットショップであるが,バンダイに関連する各種商品を販売する公式ショップとしてスタートしている。
 当初は,一般販売商品を中心とした一般的な商品展開であったが,徐々にオリジナル商品を増やしていった。
 提供されるオリジナル商品は,一般流通では販売しづらいものや,イベントなどに関連する限定商品,一般店舗では扱うことが困難な独自のアパレル商品など多岐にわたっている。
 系列企業のメガハウスの商品もあつかっており,多彩な品揃えとなっている。

 現在では,プラモデル販売を行う「ホビーオンライン」では,中心となる商品がほぼ「限定商品」のみとなっており,予約販売の形でオリジナル商品が提供されている。
!おもちゃのまちバンダイミュージアム
 元々は,2003年に千葉県松戸市にオープンしたおもちゃの博物館「バンダイミュージアム」がベースとなっている。
 バンダイの初代社長が構想として語っていた「バンダイランド」というテーマパーク構想のひとつの成果としてオープンしたもので,かつてバンプレストの本社があったビルを改装してミュージアムとして公開したものである。
 ミュージアムは,ビル内部を一つの博物館として構成し,特撮ヒーロー関連の玩具や資料の展示,ガンダム関連の巨大なモニュメントの展示なども行っていた。これに大人向けのバーを併設し,施設そのものが大人を含めた全世代に向けたものとなっていた。
 しかし,諸事情から2006年8月31日に閉館,栃木県壬生町に場所を移して2007年4月28日,新たに「おもちゃのまちバンダイミュージアム」として開館した。

 新たに開館したバンダイミュージアムは,かつて軽井沢ワールドトイミュージアムなどで展示していた玩具コレクションなどを含め,19世紀の蒸気機関模型や20世紀初頭の炭鉱模型やエジソンの発明品といった文化的にも価値のある資料が展示されている。
 詳細は,「[[おもちゃのまちバンダイミュージアム]]」を参照。
!バンダイホビーセンター
 かつての静岡ワークスを移転した新施設。
 詳細は,[[バンダイホビーセンター]]を参照。
!海外展開
 バンダイは,各国に支社を持っているが,その多くは現地企業として現地独自の商品を展開している。例えば,バンダイ・アメリカでは,パワーレンジャーシリーズの玩具や独自のフィギュアプラモデルなどを展開している。
 こうした海外での企画品が,時に他の国の商品ラインナップに影響を与えることもある。
 ガンダムシリーズで言えば,バンダイ・ホンコンが企画したモビルスーツ・イン・アクション(フィギュア)シリーズは,アメリカ本土でのヒットの後,日本へと逆輸入の形で展開されており,国内では未発売商品も数多く存在する。
 また,このような事業展開によって海外先行で商品展開が行われたSDガンダムフォースの様な例も登場している。
!グループ企業{{fn 単独項目を作成していないもの}}
:プレックス(PLEX):
 プレックスは,バンダイナムコホールディングス傘下の企業のひとつで,キャラクター玩具の企画,デザイン制作などを手がける企業。
 元々は,バンダイ内部の企画を立てる部署をデザイン専従のメーカーとして独立させたもので,当初は「ポピー企画室」という名称だった。
 1981年の設立当初から,いわゆる「戦隊もの」や「ウルトラシリーズ」等のメカニックデザインやスーツデザインを手がけており,数多くの戦隊ロボやウルトラメカなどがプレックスによって生み出されている。
 現在の社名に変更となったのは1990年で,2007年にはポピー(旧ユタカが社名変更したいわゆるフックトイや駄玩具などの開発企業で超合金などのポピーとは記録上は別会社)と合併している。

:サンスター文具:
 サンスター文具は,1952年に設立された文具メーカーで,高度成長期に様々なヒット商品を発売,これらの多くが現在も改良を加えながら継続販売されている。特に子ども向けのキャラクター文具に強く,ディズニー系のイラストなどがあしらわれた筆入れ等の商品は子ども向けとして人気であった。(バンダイナムコ傘下となってからは,バンダイ系キャラクター商品も数多く発売されている。)
 また,文具屋で扱われるホビー系商品(ゲームができる消しゴム等)の開発販売も行っており,いわゆる「アイデア文具」も数多く発売している。

 厳密に言えば,現在のサンスター文具は,旧来のサンスター文具とは別会社で,元来のサンスター文具は,「サンスターホールディングス」と名称を変更し,グループ持ち株会社へと移行している。
 これは,2009年のグループ再編において,文具部門を分割し「サンスター文具」として事業継承させたためである。この際に,バンダイの出資を受け入れており,バンダイの子会社であった文具メーカー「セイカ」と事業統合した。(セイカレーベルは,その後も継続している。)

 また,2013年にバンダイの増資によってサンスター文具の発行済み株式の過半数をバンダイが取得したことから,バンダイの子会社となっている。(出資元としてサンスターホールディングスも名を残しており,共同経営体としての位置づけは残っている。)
 このため,1952年の設立時と2009年以降は別会社ではあるが,事業としては同一のものが継続されている状況である。

:メガハウス:
 メガハウスは,食玩,フィギュア,ゲームなどの企画,開発,販売を行うメーカー。
 元々は1962年に設立された科学教材(エレクトロニクス玩具)などのメーカであったが,1996年にバンダイ傘下となっている。(翌年,ゲーム開発の「エンジェル」など,他のグループ企業との合併の後,現在のメガハウスに社名変更している。)
 また,2005年には,玩具メーカーであったツクダオリジナルの事業を譲渡されており,ルービックキューブなどの玩具の製造販売も行っている。

:STRICT-G:
 バンダイが展開しているアパレルブランド。
 バンダイ自身も参加にアパレルメーカーを持っており,様々なキャラクターアパレルグッズを添加しているが,STRICT-Gは,こうしたキャラクターアパレルとは異なり,一般的な日常での使用を前提としたこだわりのある商品を発売している。
 また,様々なアパレルブランドとコラボレーションしており,様々な限定商品を数多く販売している。
!!関連項目
*[[バンダイナムコホールディングス]]
!!編集者
*あさぎり
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!!ノート
■[[本項目に追加情報を記載する|BBS2]]
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